◇for marionettes◇

たぬの思うこと。

誕生日

12/7に悲しみが最高点に達し、私を消し去っていきました。


7日の夜に冷静に旧自己と新自己の間に浮遊し、8日、うまれました。


誕生日、1/6と12/8です。


これから人生を作ると思うと楽しい気分です。

不思議なことに、旧自己の記憶と感情回路をほぼ覚えていません。実感しません。


悲しみの果ての自己喪失だったとして、逃避だったとして、解離だったとして、もはやそれでいいのです。きっと悲しみを自己と他者にふりまくことがないのだから。


私の熱い憎しみや感情が原動力になり、作品を生み出してきました。それがなくなるとして、残るのは何だろう。

「人間としてこうありたい」がなくなりました。なにもわからない。何も考えてない。


人間を客体として見るためには、脱人間化という方法しかないというロジックツリーを完成させたことがありました。


私は今なんなのだろう。

人間である。

人間であるがゆえに、自己や人を客体として見ていない。

否、自分を人間だと認識しないことこそが人間ではなかろうか。それならば?

ただ、わたしは感情が動かない。

人がぬいぐるみを大切に思ったり、ぬいぐるみが人を大切に思う絵本を読んで、自分にとってのぞえのことを思って感動してしまったが、

なんだか感情ボタンは奥までぽちっと押すまえに薄い膜があって、ボタンの一番底までいくことが自分に負担をかけていたようなのだ。

感情は私は本から得た。価値観を本から得た。その感情や価値観がひとのものだとしたら、わたしは、わたしだけなら、

ほんとは、すべてが平和にいけばどうでもよかった。みんなが笑っていればそれでよかった。かといって、昔のように悪い人を許せないということもなかった。悪い人はきっと自分のなかのほんとうに気づかないかぎり、何をしても笑ってくれないのだ。だから、いい。目に入らない。


ひとの感情がひとのものだとわかったなら、わたしには価値観が今ない。

なにもなく、ぜろで、透明で広く至るところまでなにもない。


価値観のひとつめは、きっと「笑顔はかわいい。笑顔は泣かせる。笑顔のないところに、真の会話はない」


そして、私は

ビリー・ジョエルが好きだ。

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