頭はこわい。
頭が疲弊してるようなんですね。
記憶ができなくなっていて。
記憶したことを思い出す集中力がないというか。
それともそれも第二誕生日の変化なの?
しようとしてたこと忘れたり、
さっきまで思い浮かんでた単語を忘れたり、
さっきの気持ちを忘れたり、
ふとした時に、前の自分が顔を出すようになっていて、
わたしという世界が二層になっていて、下の層が出てくると今でも空間のすべてに傷つく状態に戻ってしまうんです。そこで何も受け取らないようにしていると、なんの頭も働かなくなるんですね。ちなみに、頭を働かせないぶん感覚が表に出てきて便利なときもあります。
二度と普通の状態には戻らないのだろうか。何かから逃げるしか平穏に生きる道はないのだろうか。
価値観だけの問題ではないみたい。
とある選択の結果に自分Aが満足していても、ある瞬間に違う、自分Bに切り替わってしまって、その自分Bはさっきまで満足していたことなんて実感として覚えていず、事実だけ認知している状態で、自分Bにとっては自分Aの選択はありえないぐらい嫌悪感を催すものなんですよ。
一体これはどうしたらいいんだろうなー。
自分のしたいことや考えることが、味方がいないようなものばっかりだから、自信がなくて自分で仮想「世間」を代行してジャッジしているのかもしれない。
でも、迫害もされていないんだ、自分が自分をこうして他人のように見つめて恐れてひとりぼっちにしさえしなければ、生み出せたたくさんのものがあったかもしれないのに。
でも、「これが自分だこれでいいんだ」と意識すると、今度は意識してその状態を無理矢理作ってたりしませんか?
それでも、圧力があるならばそのぶん無理にでも通さないとどうにもならないことなのか。
一回トンじゃうのがいいかもしれませんね。
やってみなきゃわからない。
とにかく頭で何にも考えずに、やりたいことをやってみるんですよ。てか、頭で何にも考えずに、日常を送ってみるんですよ。
わたしの頭が問と答の構造になっていたり、自分Aと自分Bが独立した人格になっているのは、しょうがないことなんです。だって、今まで感情を捨てて、主観をできるだけ無くして、できるだけ多数の視点を拾い集めて最終的にはそれらを統合して世界を理解しようとしてきたのだから。
今さら単一の視点で(単一の人格を手に入れることなんて)、よっぽど荒療治をしないとできないことなんですよ。
だから、きっともうわたしの頭は単一の人格を手に入れる目的においては使えないんだと思います。
だから、頭は使わない。
頭で考えて行動しない。
記憶を引っ張り出さない。
以前の思考回路を引っ張り出さない。
統一性がなくてもいい、その時したいことをして、先のことは考えずに、そしていつか知らない間に無作為のデータが溜まったら、それを見て自分の人格が眺められる日が来るかもしれない。
その日まで純度の高い本能的行動をサンプルしてみます。何か結果が出るように。
……がんばります……
3日くらいで変わりませんように。